KY(空気読めない)人。そんな言葉が流行っていますが、子どものユーモアや冗談は、KYなんておかまいなしに、場の雰囲気を明るく変える力がありますね。
私が子どもを持ってよかったと思うのは、しょうもない冗談をキャッチボールのように投げ合うとき。  学校や友達の間でのできごとも時事問題も、柔軟な感覚でお笑いネタにしてしまいます(唯一例外は、自分自身。自分を笑う余裕はまだないようで…)。
ところで、
クラス委員といえば、保健係、図書係、体育係などは、私たちの子どものころからありましたが、関西のある小学校では「お笑い係」なるポストがもうけられ定着しているそう。


 2008年7月5日朝日新聞(大阪版)夕刊によると──
兵庫県芦屋市の市立宮川小学校の6年生にはお笑い係がある。昨春、あるクラスが学級会で係を決める際、「みんなを笑わせるお笑い係を作りたい」と立候補する子たちがいた。「おもしろい」と担任の先生たちものり、ことしは学年の全3クラスに広がった。
(担任の)俵原教諭が「笑育」として教育雑誌に紹介し、小学校の先生が鳥取や群馬から視察に来た。
関東地方のある教諭は、「子どもたちが授業にひきつけられている。先生と子どもとの駆け引きや間の取り方はさすが。関西の風を関東に広めたい」と、コメントしています。
関西では、他の学校にも広がっているようです。そういえば、私の子どものころにも、クラスにかならず一人か二人は、「おもしろい男子(女子)」がいて、先生の発言を茶化したり物まねをして、笑わせてくれる子がいました。冗談の通じない先生の前では叱られ係になってかわいそうでしたが、明るいムードメーカーはいつの時代も人気者。
 それに、正式な“お笑い係”なら堂々とネタや芸を披露できますね。
係に任命されたゆえの責任感も生まれ、みんなの気分を明るく盛り上げるための笑いとは何か、子どもなりの配慮も生まれるのではないでしょうか。また、監督である担任の先生のお笑いセンスも磨かれていくことでしょう。
関西はお笑いの殿堂、人に笑ってもらえてナンボ! という気風があります。
笑いで相手の心を解きほぐし、場をリラックスさせる雰囲気作りができる人は、大人になっても重宝されます。
教育もいいけど、笑育も大切。
その場の心がひとつになる笑いは、大人⇔子ども、教え⇔教えられるという関係ぬきに、お互いを尊重する気持ちから生まれることが、上述の「笑育」教祖(?)俵原先生らしき方のブログ(下のURL)からも読み取ることができます。
http://plaza.rakuten.co.jp/syouiku/
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